株式会社 中北製作所

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中北製作所の歴史

1.戦前・戦中1930(昭和5)年~

初代社長 中北辨造(べんぞう)が「中北製作所」を創業

1930(昭和5)年5月、大阪市北区松ヶ枝町に住宅兼工場として中北製作所を発足。従業員はわずか数人の小さな個人組織であった。最初の製品は、自動フロートスイッチや圧力スイッチなどの自動調節弁で、ここに「中北」のオートメーションへの歴史の第一歩がスタートする。
辨造は、次々と新製品の開発に取り組み、取得した専売特許や実用新案は数十件に及んだ。辨造の頭文字をつけた『B-N』製品の評判が高まり、中北製作所の基礎が固まる。

初代社長 中北辨造
大阪市城東区蒲生町に新工場建設

1937(昭和12)年 5月、大阪市北区今井町に工場を移転し、会社組織に変更。1939(昭和14)年、順調な業務の拡大に伴い、これまでの工場が手狭となったため、新社屋の建設を計画。 6月に大阪市城東区蒲生町の新社屋・新工場が完成する。

今井町の工場
蒲生町の新社屋・新工場
第二次世界大戦

1939(昭和14)年、第二次世界大戦が勃発。中北製作所も戦時体制に組み込まれ、1942(昭和17)年、海軍管理工場に指定される。鋳鉄鋳鋼のストップ弁を中心とした輸送船用バルブの製作を命じられ、最盛期には1000人近い従業員が生産に従事した。

2.戦後1945(昭和20)年~

戦後の混乱期から復活を果たす

1945(昭和20)年の終戦によって、海軍管理工場の指定が外される。工場の裏の通路には、沢山の鋳物が野ざらしに積まれた状態であった。この頃の従業員は80名位。戦後の混乱期でバルブの需要がなく、木工のミシン台の製作やアイスキャンデーの販売など、本業ではない仕事をしながら、生き残りをかけた苦難が続く。中北製作所再建の中心となったのは、兵役から帰還した若い人たちであった。

1952年頃 戦後の中北本社工場
時代の風に乗って、会社再建へ

1950(昭和25)年、東京営業所の再開や九州出張所を開設し、会社再建へと乗り出す。同年に起きた朝鮮戦争の特需により、米軍から戦前に生産していたラジエーターバルブやラジエータートラップ、エキスパンジョンジョイント等を大量受注。さらに、朝鮮半島の兵舎向けの暖房用スチームトラップを入札で大量に受注し、工場として息を吹き返した。
その後は電力需要が増加して、発電所用の大型バルブの取り換えが始まり、1952(昭和27)年頃からは大型船の建造開始に伴って、舶用のバルブの製造も開始した。1954(昭和29)年頃から日本は高度経済成長へ。造船業界も復活を遂げ、船用製品の需要が伸びると共に、電力関係への進出を図りはじめる。
1958(昭和33)年、「特定機械振興法」適用工場の指定を受け、通産省の推薦で日本開発銀行からの融資により、高温高圧用バルブのテストのために超臨界圧ボイラの設置や新鋭工作機械、検査設備など、設備の充実をはかる。

1952年頃 発電所向大型ゲートバルブ
大東に新工場を建設

1959(昭和34)年5月の創立30周年を迎え、工場拡張用地として大東市に用地を購入。1960(昭和35)年11月、大東工場第1期工事が完成し、機械工作工場を稼働する。翌年の10月、大東工場第2期工事が完成し、組立工場として稼働する。

1960年 第一期工場完成

3.高度経済成長1963(昭和38)年~

流体制御システムのリーディングカンパニーへ

1963(昭和38)年には、ゴムライニング式バタフライ弁を開発した。それまで、タンカーの油を積むラインには、ゲート弁と呼ばれるバルブが使われていたが、当社がシートにゴムを使った画期的なバタフライ弁を考案し、漏れゼロを実現したことから25万~30万トンの大型タンカーを建造することができるようになった。
1965(昭和40)年、初代社長 中北辨造死去により、中北博が新たに取締役社長に就任する。「これからは自動化された機械の時代」と予測した創業者 辨造の意思を引き継ぎ、バルブを中心とした流体制御システムの開発に邁進する。タンカー需要の増加を予測し、タンカー用遠隔操作装置やバタフライ弁、フロート式液面計の開発に取り組む。「進取発展(フロンティア・スピリット)」は、中北の社是として、今も大切に受け継がれている。

遠隔操作装置
舶用流体制御システムのパイオニアへ

1970(昭和45)年には、タンカーの大型化に対応するため、カーゴライン、バラストラインのバタフライ弁遠隔操作装置を開発し、バルブとシステムを総合的に供給できるメーカーとして業績を伸ばした。
1970(昭和45)年、大東新工場完成により、工場の集約を完了する。翌年、念願の大阪証券取引所二部に上場を果たし、品質改善や生産システムの開発、業務の一体化を図るため大東工場内に新社屋建設など、さまざまな業務改革に取り組む。

新社屋
品質管理への挑戦

1979(昭和54)年、米国機械学会(ASME)から「ASME V and UVスタンプ(安全弁及び安全逃し弁のスタンプ)」の使用を認定され、品質管理システムに対する考え方を確立した。また、1985(昭和60)年、大型電算機による生産管理システム「NAPS(NAKAKITA Production Control System)」を導入し、複雑な受注生産管理を一括コントロールし、効率化と確実性を図る。1988(昭和63)年、設計OAシステム「NADAS(NAKAKITA Design Assist System)」を導入し、設計の効率化と確実性を図る。
1991(平成3)年には、コンピュータ制御の遠隔操作装置を開発しヒット製品となる。また、従来のバルブは油圧信号で動かしていたが、配管から油が漏れた場合、海洋汚染につながるため、小型電動アクチュエーターの供給を開始し、海洋環境への配慮に貢献する。
1994(平成6)年、認証機関 LRQA社により国際規格(ISO9001)に基づく、製品の設計・製造に対する『品質システム』を認証される。

4.安定期1997(平成9)年~

全世界に拡大した中北ブランド

1991(平成3)年に起きた「バブル崩壊」により、日本経済は「失われた20年」ともいわれる低成長期に入る。そのような中、海運市況は、海洋汚染防止の観点から船体の二重構造化が義務化されたことをきっかけに海運市況は活況を呈す。1997 (平成9)年、3代目取締役社長に中北修が就任する。
2000年代には中国をはじめとする新興国の経済発展により、海上荷動量が大幅に増え、造船のラッシュによって船舶向け製品の受注が増加。2003 (平成15) 年、EU圏への製品輸出に対応するため、認証機関LRQA社により「CEマーキングPED(圧力機器指令)」の認証を受け、中北ブランドは全世界に拡大していった。
2004 (平成16) 年、4代目取締役社長に中北健一が就任。2005(平成17)年には他社と共同でガスタービン用燃料制御弁の高応答アクチュエーターを開発し、陸上プラントでの製品の高度化に成功した。翌年以降、LNG船・カーゴライン用の超低温バタフライ弁を共同開発するなど、さまざまな製品開発に取り組む。

さらなる発展へ

2008 (平成20)年、従来の生産管理システムであるNAPSを刷新し、データ分析による納期管理や個別受注生産に柔軟に対応できる「見える生産管理システム」として生産の効率化を図った。
2015 (平成27)年に5軸立型マシニングセンタを導入、一品一様の複雑な部品の寸法測定にヒト協働ロボットを導入し、機械加工の生産性向上と次世代生産設備の実現にむけて研究が行われている。
2018(平成30)年、従来の「技術開発室」を発展させ「研究開発室」とし、新製品の開発や新規事業につながる要素研究をスタートする。幅広い研究により、未来のビジネスチャンスの創出に挑戦。社是「進取発展」の精神は、新たなイノベーションとして脈々と受け継がれていく。